株式会社食文化の創業者で社長、北谷稲荷神社で神職の仕事も兼任し、地方再生に尽力している萩原章史(はぎわら あきふみ)さんテレビで紹介されました。
萩原章史(はぎわら あきふみ)さんはどんな経歴の人物で、どのような工夫を行ってきたのでしょうか。
通販サイトの情報は?
2022年2月24日(木)23時06分から、BSテレ東「カンブリア宮殿」でも紹介されます。
早速見てみましょう。
萩原章史/食文化社長の経歴wiki・年齢・プロフィール
萩原章史のプロフィールと年齢
名前:萩原章史(はぎわら あきふみ)
生年月日:1962年1月23日(60歳:2022年2月現在)
出身:静岡県島田市
学歴:静岡県立藤枝東高等学校卒業、早稲田大学経済学部卒業。
職業:株式会社食文化代表取締役社長
SNS:Facebook、LinkedIn、instagram
会社SNS:うまいもんドットコムtwitter、豊洲市場ドットコムtwitter
萩原章史の経歴
1984年4月 大手ゼネコン入社
2000年3月 大手ゼネコンを退職
2001年4月 株式会社食文化を創業
2001年8月 ECサイト「うまいもんドットコム」の運営開始
2004年4月 「築地市場ドットコム(現:豊洲市場ドットコム)」の運営開始
2009年8月 JCBと提携し、BtoB販売・結成支援サービス「うまいもんPRO」の運営開始
2010年8月 「秘密のケンミンSHOW」ECサイト「秘密のケンミン館」の運営開始
2011年5月 ぐるなびと共同資会社「株式会社日本食材情報」を設立、代表取締役就任
2013年4月 ローソンと協業し「株式会社食のマーケティング」代表に就任
2013年11月 日経レストランとコラボし、ECサイト「日経レストランONLINEスペシャル目利き問屋」を開始
2016年1月 大倉陶園作の干支の白磁酒杯をプロデュース
2017年6月 ヤフー株式会社社会貢献推進室と業務提携、東北エールマーケットのLOHACO(ロハコ)店の運営受託を開始
2019年4月 株式会社食元気を設立(共同創業者:堀江重郎)
萩原章史さんは、大学卒業後に大手ゼネコンに入社し、中国・アメリカなどを中心として海外で13年間を過ごします。
大手ゼネコン時代は、海外事業部の営業に配属され、天津で日中合弁ホテルの建設を担当し、日本国内の経理部で3年間を過ごし、北米担当としてロサンゼルス赴任もしました。
時代はバブル崩壊後で、精算ゼネコン不況で、面白い仕事ももうあまりないと萩原章史さんは考えます。
2000年、21世紀に入ったことを区切りに、39歳11ヶ月で大手ゼネコンを退職します。
2001年4月、株式会社食文化を起業します。
ミッションとして「食のちからで日本人を元気にする」を掲げ、インターネットやパソコンの技術を通じて、食材の生産者を支援する方針を掲げます。
食材をネット販売するためのEコーマス(ECサイト)「うまいもんドットコム」を立ち上げます。IT技術を使えない食材生産者を支援し、消費者として中高年をターゲットとしました。
2004年4月、東京中央卸売市場・築地製菓市場と提携をして、「築地市場ドットコム(現:豊洲市場ドットコム)」の運営を開始します。
その後も、さまざまな食の販売者と提携し、ネット通販のノウハウを生かして、通販による食の提供に貢献しています。
渋谷区神南の北谷稲荷神社で神職の仕事も兼任し、地方再生に尽力しています。
萩原章史さんは、100歳まで現役宣言をしており、人生に積極的に向き合っています。
食文化の通販情報
通販サイト「うまいもん」では、全国のさまざまな美味食材を注文することができます。
umai-mon.com
豊洲市場の有力卸売店と連携し、高品質な生鮮食材を市場から直送でいただくことができます。
楽天市場の「イエノミ」でも全国の商品を取り扱っています。
萩原章史/食文化社長の家族は?
萩原章史さんは一度離婚歴があり、再婚しています。
その再婚相手が、渋谷区神南の北谷稲荷神社の宮司であったこともあり、萩原章史さんも神職を兼ねることとなりました。
結婚後に、1ヶ月ほど国学院大学に通い、神職の資格を取得しています。
結婚して、奥様側の「杉本」に苗字が変わっていますが、ビジネスでは「萩原」を使用しています。
萩原章史さんが50歳の時に、お子様が産まれています。
過去のカンブリア宮殿はこちら。
さいごに
今回は、株式会社食文化の創業者で社長、北谷稲荷神社で神職の仕事も兼任し、地方再生に尽力している萩原章史(はぎわら あきふみ)さんの経歴やプロフィール、成功の理由について調べてみました。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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