25歳で初めてテニスの世界に入り、39歳で世界ランキングを獲得した市川誠一郎さんが話題になっています。
市川誠一郎さんはどんな経歴の人物で、39歳と壮年であっても世界ランキングを獲得できたのは、なぜでしょうか?
2023年11月20日(月)23時15分から、テレビ朝日系「激レアさんを連れてきた。」でも紹介されました。
早速見てみましょう。
市川誠一郎/テニスプロの経歴wiki・年齢・プロフィール
市川誠一郎のプロフィールと年齢、顔写真
名前:市川誠一郎(いちかわ せいいちろう)
生年月日:1984年5月18日(39歳:2023年11月現在)
出身:神奈川県横浜市
学歴:開成中学校・開成高等学校、東京大学文学部スラブ文学科
身長・体重:180cm、73kg
血液型:B型
SNS:instagram、X (twitter)、ブログ
市川誠一郎さんは、小学校の時には電車が大好きでした。
電車に乗って出かけたいという理由で、ご両親に頼んでわざと遠くの日能研に通っていたそうです。
元々勉強がそこまでやりたいわけではありませんでしたが、日能研のレベルが高い同級生たちに刺激を受け、勉強にはまっていきます。
ゲーム感覚で点数を上げていくことに夢中になり、日本一の成績を取ろうと頑張ります。
そのおかげで、中学受験では有名な進学校を受験し、全て合格して開成中学校に入学しました。
開成中学校でも成績トップ10位に入っていたそうですが、ある時ふと「別に勉強がそんなに好きではない」と思い出し、「好きでもないことに時間を使うのは時間の無駄だからやめよう」と思い立って、勉強をやめてしまいます。
開成高校に進学すると、社会人の音楽サークルに参加して、バンドをやるようになります。
高校3年生の時には、音楽の専門学校に進み、ミュージシャンになることを夢見ていました。
けれども、社会人の音楽サークルのメンバーに激しく反対され、まずは大学に進むことを進められます。音楽で食べていく自信もあまりなかった市川さんは、大学受験をすることに決めました。
本命の東大理科2類を受験し、現役合格します。他にも早稲田大学、慶應大学を滑り止めに受けていました。
大学入学後は、文学部に転学しています。
大学時代も音楽を追求し、ロック、ジャズ、クラシック、民族音楽など様々な音楽を研究します。
さらには、ギターを持って、ジャマイカやキューバにいくなど、世界各国を回る旅もしていました。
また、前衛的な現代舞踊音楽の作曲家である東京藝術大学講師の野口実さんに師事し、現代音楽の道に進もうと考えていました。
2007年、東京大学卒業後は、サラリーマンにはなるつもりがなく、塾講師などをやりながらフリーターとして数年を過ごします。
現代音楽の作曲家をやるために、野口先生の尽力でパリの音楽院への留学も決まりました。
ただ、なかなか音楽で生きていく覚悟を決められないでいます。
音楽の世界は、白黒はっきりつかないところもあり、
2009年、勝負の世界で自分の可能性に挑戦したい、という思いから、初心者からテニスプロとなりグランドスラムを目指すことを決めます。
市川誠一郎/テニスプロの経歴は?
市川誠一郎さんは、プロテニス選手を目指し、まずは1年間独学で猛練習を行います。
2009年、選手アカデミーに入門しますが、周りのジュニア選手になかなかついていけず、厳しい指導に精神的にも追い込まれます。
ただ、自分で決めた道を進む、という覚悟を決めて、相当量の練習を行います。信頼できる良いコーチと出会ったこともあり、5年間みっちり基礎を積みます。
平日には練習をし、土曜午後と日曜日は家庭教師・塾講師で予定を詰めて、なんとか生計を立てながら練習に励みました。
2014年、東京オリンピックに向けて身体能力に優れたアスリートを発掘するトライアウトイベントに参加し、最終選考まで残ります。
「東大卒」「25歳でテニスを始めた」という異色の経歴が注目され、日刊スポーツでも報じられたことがきっかけで、ウェアブランドの庭球人が、用具提供のスポンサーとしてついてくれることとなりました。
更に、異色の経歴を武器にして、スポンサーを獲得します。「1年以内に世界ランキング獲得、あるいは帰国後に大会に出て優勝」できなければ全額返金することを条件に、450万円を集めます。
2016年、この資金をもとに、スペインにテニス留学し、ひたすら練習に励みます。
2017年、1年後に結果が出ず、帰国することとなり、借金生活に苦労します。
2017年から2020年初めまで、相模原市クリエイトテニスアカデミーに所属します。
この間、2018年には日野オープンで国内ツアー大会初の準優勝を果たします。
2020年9月には、当時通っていたアカデミーの生徒が、セルビアのジュニア国際大会に出場することなり、帯同コーチとして行かないかと声がかかります。
帯同コーチの3週間が終わった後も、現地に残って、世界ランカーと交流練習を行います。
2020年12月から、半年間以上、毎週ヨーロッパ周辺の国際ツアー大会に出場し続けました。
市川誠一郎さんは、日本のスポーツの世界はどうしても上下関係が厳しいところがあるが、ヨーロッパではフラットな関係で接することができるため、自分の性に合っていて、ヨーロッパにできるだけ滞在したい、という気持ちが強かった、と言っています。
2022年に一時帰国すると、新たなスポンサーを獲得します。
2023年5月、チュニジアで行われたITFツアーでダブルス世界ランキング2090位を獲得します。
6月26日時点で、男子ダブルスのランキング2081位を獲得しています。
現在は、ヨーロッパでの経験を活かし、日本人選手のヨーロッパ大会帯同コーチも行っているそうです。
現在39歳となりますが、体力の衰えを感じることはまだなく、引退を考えたことはないとのことです。
テニス以外でやりたいことは、やり残した音楽と、大学で理2で興味を持っていた脳の研究とのことで、死ぬまで予定がいっぱいだ、と話しています。
市川誠一郎/テニスプロの結婚は?
現在は独身とのことです。
テニス以外に時間を使いたくない、とのことで、全てをテニスに注いでいます。
女の子と遊びに行きたいと思ったこともあったそうですが、行動にまで移すことはなく、お酒も次の日の練習に影響が出ることを考えると、飲む気にならないそうです。
家庭を持っていないからこそ、ここまでテニスの世界に挑戦できたとも言えますね。
なぜ39歳でテニスの世界ランキングに入れたのか?
25歳からテニスを始め、39歳で世界ランキングに入りました。
テニスを始めた時、独学で1年やったものの、2009年に選手アカデミーに入門すると周りの選手に全くついて行けませんでした。
そこで挫けず、5年間良いコーチについて特訓をしたことで、基礎ができたのだと思います。
その後は、遅く始めた分のハンデを取り返すかのように猛練習をし、ヨーロッパで過ごしていた時も、1日に3時間前後しか練習していない中で、一人で5、6時間以上練習をしていたといいます。
大会に出ると様々な選手に積極的に声を掛け、自分より強い選手に練習相手になってもらうことに成功します。
良いコーチについて基礎を学んだのちに、圧倒的な量の練習を続け、強い選手と積極的に交流したことで、今の強さを身に付けたのでしょう。
市川誠一郎さんのTシャツ
市川誠一郎が来ている「夢追人」Tシャツは、こちらから購入できます。
過去の激レアさんはこちら。
さいごに
今回は、25歳で初めてテニスの世界に入り、39歳で世界ランキングを獲得した市川誠一郎さんについて調べてみました。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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