高橋伸昌/江戸清会長の経歴や中華街での成功理由は?年齢や大学や家族も【カンブリア】

テレビ番組

2022年1月6日(火)23時06分から、BSテレ東「カンブリア宮殿」で、中華街にある江戸清会長 高橋伸昌さんが紹介されます。

高橋伸昌さんはどんな経歴の人物なのでしょうか。

中華街でどのように成功したのでしょうか。

早速見てみましょう。

江戸清の中華料理を味わうには、こちら。

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高橋伸昌/江戸清会長の経歴wiki・年齢・プロフィール

高橋伸昌のプロフィールと年齢

本名:高橋伸昌(たかはし のぶまさ)
生年月日:1959年(62歳)
出身:横浜市
国籍:日本人
学歴:慶應義塾大学経済学部
職業: 株式会社江戸清代表取締役会長

・公益社団法人横浜中法人会 会長・横浜中華街発展会協同組合 理事長・横浜中華街大通り商店街振興組合 副理事長・横浜商工会議所2号議員・山下町町内会 副会長・加賀町交通安全協会 副会長・横浜中華街パーキング協同組合 常務理事・福祉法人あおい会 理事・一般社団法人日本ハンバーグ・ハンバーガー協会 理事・地元の小学校、中学校 学校運営協議会

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高橋伸昌の経歴

1982年(23歳) 野村證券株式会社入社
1994年(35歳) 株式会社江戸清入社、事業部長就任
2000年(41歳) 4代目代表取締役社長に就任
2019年(60歳) 代表取締役、会長に就任(現在まで)

1982年野村證券株式会社に入社しました。

最初は3、4年働くつもりで入社したとのことですが、仕事が面白く、結果的に10年以上勤めることになった、と言います。

ノルマで数字を達成する、かつ「顧客第一」を両立できるよう努力したそうです。

数年度には、トップセールスマンとなり、まもなく支店長というところまで出世しました。

1994年、そのような中で、実家の江戸清で問題が生じ、母親に「江戸清に戻って父親を助けてほしい」頼まれて、株式会社江戸清に入社することとなります。

ことの発端は、1970年代でした。オイルショックの影響で、世界経済に不況が訪れ、日本経済も大きく影響を受けました。

江戸清の子会社で、高橋伸昌さんの父の弟が経営していた会社がありましたが、不況の影響で倒産してしまいます。

そして、当時江戸清の社長であった高橋伸昌さんの父親 高橋柢祐(たかはしていすけ)さんが、この負債の処理を引き受けることとなります。自社の資産や、実家の家財などを売り、何とか返済を完了しますが、そのお蔭で、江戸清も倒産の危機に陥ります。

そんな時、同じ食肉業の伊藤ハム株式会社の創業者から、支援の手が差し伸べられました。これは、高橋柢祐さんが伊藤ハム株式会社の関東会の会長をしていた縁からでした。江戸清の株式の75%を伊藤ハム株式会社に譲渡し、伊藤ハム株式会社から資本出資を受け、これにより江戸清は事業再建することができます(最終的に、高橋伸昌さんが入社してから20年後に全株式を戻してもらうことができました)。

このような状況で、高橋伸昌さんは江戸清に呼び戻されました。

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2000年に、高橋伸昌さんは4代目社長に就任します。しかし、その後は困難が続きました。

口蹄疫、狂牛病と言われた牛海綿状脳症(BSE)、食中毒、食品偽装、段ボール肉まん事件などです。

段ボール肉まん事件は、2007年に中国北京市で起きました。これは、廃棄段ボールを苛性ソーダ水で脱色し、粉砕して挽肉に混ぜ、豚肉の香料を加えることで、偽物の肉まんを製造した事件です。

これらの困難によって、中華街の売上は3割まで落ち込むこととなりました。

高橋伸昌さんは、困難が起きる度に、事業内容の見直しなどを行い、乗り越えます。

2020年、新型コロナウィルスによって、更なる危機が訪れます。

緊急事態宣言による観光客の減少、インバウンド需要の消失、営業時間自粛などによって、売上は1割まで落ち込みました。

高橋伸昌さんは、今回もドライブスルーや配達を始めるなど、工夫を続けています。

横浜中華街発展会協同組合理事長として、「中華街は真っ先に傷ついた町。どこよりも先に回復した町として立ち上がりたい」と、「6つの箱舟」と命名した6種類の施策を打ち出し、街全開の回復に取り組んでいます。

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江戸清は創業127年の歴史を持つ

江戸清は、横浜で生まれ横浜で育った育った企業で、創業127年の歴史を持ちます。

1894年(明治27年)に、高橋清七(高橋伸昌さん曽祖父)が食肉業として創業しました。千葉で庄屋をやっていましたが、海外から入ってきた肉を食べて感動し、千葉で養豚業を始め、卸し先の横浜の江戸屋を継ぐことになった、とのことです。1914年にハム・ソーセージ加工製造業を開始。

1938年、2代目高橋峯男に継代。1952年、米軍への納入を開始。

1967年、3代目高橋柢祐(高橋伸昌さんの父親)に継代。

1976年、伊藤ハムグループに入り、「株式会社江戸清」としてスタート。

1989年、「ブタまん」を1年半かけて開発し、販売開始。

1999年、中華街大通りに2号店を出店。

2000年、4代目高橋伸昌に継代。

2008年、中華街市場通りに、「りーろん中華街市場通り本店」を開店。

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高橋伸昌/江戸清会長の年収は?

株式会社江戸清の役員報酬は公開されていませんでした。

昨年2021年での売上高は67.5億円です。

資本金 6,000万円
売上高 67.5億円(2021年6月期)

出典:https://edosei.co.jp/company/corporate-profile/

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高橋伸昌が江戸清を成功させた理由

元々、戦後米軍との取引や、大手企業とのやり取りの中で、食肉業としての肉の厳しい安全管理を業界内でいち早く取り入れたと言います。

そして、江戸清の経営には、先代からの理念と思想が受け継がれています。

江戸清の考え方

「事業を通じて社会に奉仕をする」

出典:https://chienotomoshibi.jp/intro/edosei/

地域に生かされているため、「地域に貢献する」ことを大切にしています。

企業理念は、わかりやすい言葉で、毎日唱和することで、身体で覚えるようにしていると言います。

「世のため 人のため 地域のため」

出典:https://chienotomoshibi.jp/intro/edosei/

父親が、消防団の団長、山下町内会の会長を務め、この言葉を口ぐせにしていたとのことです。

風呂に一緒に入りながら、そのような言葉を高橋伸昌さんも聞き、心に刻んだと言います。

高橋伸昌さんの座右の銘

「報恩感謝(ほうおんかんしゃ)」

出典:https://chienotomoshibi.jp/intro/edosei/

恩に報いて謝る心を感ずる。

人は一人で生きていくことができない。必ず引き立ててくれる人がいるから仕事ができている。

何か言われたとしても、それを気付きにすることができのだから、感謝すべき。

このように考えると言います。

「桃李不言 下自成蹊(とうりものを言わざれど、したおのずからけいをなす)」ー史記

出典:https://chienotomoshibi.jp/intro/edosei/

優れた人格を備えた人のまわりには、その人を慕って自然と人が集まってくる。

成蹊大学の名前の由来にもなっています。

「徳不孤 必有隣(徳はこならず、必ずとなりあり)」ー論語

出典:https://chienotomoshibi.jp/intro/edosei/

徳のある人は孤立することなく必ずそれに賛同する人が集まる。

「世のため人のため地域のため」にすることで、みんなが果実を得ることができる。

「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」ー日蓮聖人

出典:https://chienotomoshibi.jp/intro/edosei/

自分が良くなるためには、人が良くならなければならない。

以上のような考えを大切にしていると言います。

常に「世のため人のため地域のため」にすることで、長く生き残っていける会社になる、とお話しされています。

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高橋伸昌/江戸清会長の学歴は?

歴史のある江戸清を、幾度の困難に遭いながらも成長させていった高橋伸昌さんは、どのような学校時代を過ごしたのでしょうか。

出身高校は?

神奈川県立横浜緑ヶ丘高等学校を卒業しています。

この学校は、政治家、学者、スポーツ選手、映画監督など、様々な分野で活躍している人物を輩出しています。

出身大学は?

慶應義塾大学経済学部を卒業しています。

この経済学部での知識が、のちの野村證券での仕事や、江戸清の経営に活かされているのでしょう。

スポーツもたくさん経験

中学生の時に、父親の勧めで警察署の剣道道場に通いはじめました。 

警察の剣道道場といえば、非常に厳しいので有名ですよね。

実際、かなり厳しい道場だったそうで、よくサボっていたそうです。

高校でも剣道部に入部しますが、その後ゴルフやバレーボールなど別のスポーツに興味が湧き、剣道部は退部しています。

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高橋伸昌/江戸清会長の家族は?

ご結婚されて、奥様がいらっしゃいます。

お子さんに関しての情報は非公開でした。

ご自宅は、神奈川県横浜市中区にあるとのことです。

さいごに

今回は、中華街にある江戸清会長 高橋伸昌さんの経歴やプロフィール、成功の理由について調べてみました。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

過去のカンブリア宮殿はこちら。

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